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Neoナースコミュニケーションスクール

看護+コミュニケーションは心身コミュニケーション

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来年開講のNeoナースコミュニケーションスクール。
私はコミュニケーションスクールでファシリテーターをしていますが、ナースから「看護とコミュニケーションがどう繋がっているかわからない」と意見をいただいたことがあります。
私は、まさに看護師だから…と思っていたので目からウロコで、特別説明したことがありませんでした。
なので「看護とコミュニケーション」についてお話したいと思います。
お付き合いくださいね。

 

皆さんにとって“コミュニケーション”って何でしょう?
受講初日の生徒さんに尋ねると、いちばん多いのは「対人コミュニケーション」です。
対人コミュニケーションを何とかしたくて受講される人が多いです。
もしかすると、挨拶の仕方やマナーと思っている人もいるかも?
受講を重ねるにつれて、それぞれ意味合いが変わっていくのが面白いです。
コミュニケーションという言葉は抽象的な表現なので、人それぞれ違った解釈があると思います。

 

今の私が思うのは、コミュニケーションとは「生き様」。
もし凛子さまが、自分の生き様に100%満足しているならコミュニケーションの学びは必要ありません。
逆に、もし凛子さまが自分の生き様に満足できていないなら、コミュニケーションを学ぶと生き様を変えていけるということ。
凛子さまの今のコミュニケーションが、現状を表しているということです。

 

なぜ看護に自分の生き様が関係するのか?と思うかもしれませんね。
それはもしかすると、医師と同じように“病気”だけを看ているのかもしれません。
病気になっているその人は、突然病気になったわけではなく経過がありますね。
ずっとその人と共に生きてきた身体、そして心もずっと共にいます。
病気の発生は、本人も気づかないような小さなストレスと共に始まります。

 

 

 

「ちょっとそこのお塩取って。」と凛子さまが言うとします。
Aさんは「よっしゃ、よっしゃ」と取ってくれたのに、Bさんは「自分で取りなさいよ」と言いました。
それはAさんがいい人で、Bさんが悪い人であることを意味しません。
凛子さまとAさんとの関係、凛子さまとBさんとの関係、それぞれの“関係”に違いがあることを意味しています。

 

このとき、心の中でBさんに(ちっ。こないだ私はお醤油取ってあげたのに。二度と取ってあげないから。もういいわよ)と思うと、Bさんとの関係に影響します。
Bさんが何の気なしに話しかけたとき、ブスっとした態度をとってしまうかもしれません。
でももし(そっか。自分で取ろう)と思うと、Bさんとの関係に影響しません。
( )の心の中で思っていることが重要。
(自分のことは自分でしなくっちゃ)と不快な気持ちを押し殺してポジティブシンキングをしようとすると、その影で不快感が増強するため無理なこと。
論理的な知識の介入でBさんがお塩を取らなかったことに納得を見い出すことができれば、ストレスではなくなります。

 

心の中で行われている“ひとりごと”をセルフコミュニケーションと言います。
それは朝起きていちばんにつぶやいた(あーあ、だるいなぁ)とか(お腹すいたなぁ)というような小さな対話まで。
私たちは自分自身とおしゃべりしながら24時間過ごしています。
そのとき不快を感じた経験は、凛子さまは忘れたつもりでも脳内の記憶領域にあり、また身体にはその感覚が残ります。
そしてBさんとの出来事だったはずですが、Cさんとのよく似たやり取りや、Dさんとのやり取りでも自動的に想起され、無意識的に対人コミュニケーションをやりにくくしています。

 

傷ついた自分を癒してくれる方法は多々ありますが、一時的に自分を癒したところで目の前の人間関係は解決しませんね。
ということはストレスは再び発生し、いつまでも癒しを求めつ続ける悪循環に入ります。
自分が不快を感じる人間関係を変えないかぎり心は解放されないのです。
ですがこれはコミュニケーションの序章に過ぎません。

 

 

 

看護はここからが大切。
Bさんに対して(ちぇっ。こないだ私はお醤油取ってあげたのに。二度と取ってあげないから。もういいわよ)と思ったこと。
相手に対して思っていますが、その言葉は自分自身にいちばん響いています。
脳は主語を理解しないという特徴があります。
というか、私たち日本人は主語を省略するクセがあるので、自分のことを言っていると勘違いを起こします。
そして言葉には言霊があるといわれますが、その言葉をいちばん近くで聞いているのは自分自身です。
声に出さなくとも、言葉の振動、脳細胞の振動は自分にいちばん響いているのです 。

 

小さな小さな、眠れば忘れてしまうようなストレスによって、わずか数ミクロンの細胞に変化が生じます。
あるいは身体生成のプログラムが組み込まれている遺伝子に変異が生じ、正常ではない細胞を一つ生成してしまうかもしれません。
身体は約60兆個の細胞が同時にそれぞれの機能を果たしながら、全体で恒常性を維持しているため、わずか1コの細胞の狂いが周囲に何らかの影響を与えるでしょう。
何日も何ヶ月も何年もかかってその影響が波及し、何百個、何千個、何万個に拡がって、いつか一つの機能を担うことができなくなったとき、身体症状として現れます。
つまり症状が出る頃には、身体は限界に達しています。
自分の手に負えないほどになったとき、私たちはようやく問題視するのです。

 

病院で告げられる病名は、診療報酬請求のための診断であって原因ではありませんね。
病気の根源は心にあります。
ということは、どんな状況にせよ、予防は心の有り様に目を向けることになります。
心の中の葛藤や自己矛盾による自分への不信感。
病気はどこかからやって来るわけではなく、自分自身で火種をつくっています。

 

 

東洋の考え方は「心と身体は一つ」。
看護+コミュニケーションは、次回に続きます。
さらに深い部分に入っていきますよ~^^

 

→次へ「看護と潜在意識」

 

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