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《内なる異性Vol.5》女性にとり憑く男性性ー否定的なアニムス

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私たちは神話や童話で表されているように、両性具有であることを否めません。アニマが男性自身の中に存在する女性性の本質であるように、アニムスは女性の中で、意識と無意識の架け橋を行なう男性性本質です。それは消えることなく常に寄り添う自分自身のパートナーであり、その特徴は女性の自我と共に成長していくことです。けれど自分の中にいるアニムスの存在を知ることなく、無視し、否定することは、アニムスの否定的側面を恐ろしく助長し、ときには女性を自殺へと至らせてしまう強力な力を持っています。

 

 
ゲーテは聖ヨハネ福音書の翻訳で、男性的本質をこう記しています。
『はじめに力ありき。続いて行為あり。そして言葉、意味あり。』
女性のアニムス像は経験により成長し、この男性性の核心の順に発展していきます。

 
アニムスは女性の外側に投影されます。少女にとってたいてい初めは、父や父の立場に立つ男性の中に見出されます。少し後になると教師、兄、男友達の中に、最後は精神的なものを表す教会、国家、社会制度、科学や芸術などの中に自分自身の価値を見出しますが、女性はこうした道へ一人で直接的には進むことができません。まずそれを自分の指導者や、精神的発達を遂げている一人の男性を通じて発見していきます。

 
まだ若い女性、素朴な女性にとって、肉体的な力と鋭敏さを持つ男性が、まず初めのアニムス代理者となります。男らしく果敢で頼りがいのある、自分を守ってくれそうなスポーツマンが対象となります。さらに要求水準の高い女性にとっては行為を完遂する者、つまり「英雄」や「成功者」が、女性自身の力を何か価値あるものに向けてくれるのではないかと、アニムス代理者にします。この「力」と「行為」は流動的に移行します。

 
次いで「言葉」や「意味」は精神性の成長を表しています。「救済者」「教育者」「指導者」「宗教家」など、言葉を巧みに操り、意味を持たせ、女性の精神的素質を最も成長させる男性をアニムスは求め、アニムスはこの段階で最も問題が顕著になります。私たち女性は、自分自身の存在意義を見つけるために、いちばん長く時間をかけてここに留まることになります。

 
こういった指導者や媒介者は、アニムス像を体現しており、この投影がうまくいっているかぎり葛藤は生まれません。むしろ自分の精神的なものを映し出してくれている男性と、現実的にも関係性を持てるようになった場合、女性は自分自身が完成されたかのように錯覚してしまいます。こうして全面的にアニムスを投影し、一見完全なアニムス関係の中で幸せを感じている瞬間を、人は「恋をする」と呼んでいます。

 
しかしながら本当は、葛藤はまだ無意識のままに留まっています。女性は見かけ上の満足感に浸りながら、その男性に対する強迫的な結合願望と、耐え難いほど高まる依存性も同時に形成していきます。アニムスが投影された男性は、まだ未発達な女性の精神や責任などすべてを引き受けなければならず、またその男性も彼自身のアニマを女性に投影した場合、女性も彼の理想のアニマ像を果たさなければならなくなります。こうした共生関係によって、強迫的な依存と制約が二人の間に生まれます。

 

 

 

 

アニムスの現れ方には特徴があります。5つに分けてその特徴を捉えていきます。

 
一つは、女性自身の中に現れる「言葉」です。すべての状況を解説したり、態度のとり方を指示する「内なる声」として現れます。「そんなことできるはずがないわ」「どうせ無理よ」「何の役にも立たないわ」など、あらゆる活動への批判で、常に劣等感の原因となり、女性の自己表出への活動エネルギーも願望も窒息させてしまいます。アニムスの思考は極端で、ほんのささいなことで、ときには賞賛に変わることもあります。女性は、完全な虚無の意識と、高まる自我感情との間を、まるで振り子のように行ったり来たりさせられ、非常に不安定になっていきます。

 
女性が未発達であればあるほど「内なる言葉」は現実として作用します。一般に女性は同水準の男性より、言葉の影響を受けやすい状態です。男性は少年の頃から、遊び道具の中がどうなっているのか、どんな働きをするのか知ろうとして分解します。女性ではこういう衝動は少なく、その構造を調べたりわかろうとしないまま、機械や道具をうまく使いこなしていきます。よって彼女にとって大事と思われる言葉でも、その意味を深く理解せず頭に入れることができます。そして魔術的な言葉を持ったアニムスと、言葉を巧みに操り影響力を及ぼす男性との間で、女性は虜にされ殺されてしまうと言っても過言ではありません。

 

 

二つめにアニムスは、女性の「意見」の主人になります。例えば、母親や父親、書物や論文、教育団体や宗教団体など社会の意見をそのまま代弁したような判断、批判、主張をします。「偉大なる告発者」「鬼軍曹」「内なる判事」のようになり、独特な言い回しをよく行なうようになります。それは「~すべきだ」「~してはならない」「~しなければならない」という信念です。あらゆる人間関係にも自分自身にも、戒めと禁止をもうけ、一般法則を設定することが得意ですが、それはおよそ現実の状況には不適応なものです。

 
そして心の中を奇妙な論理でいっぱいにします。例えば急に恋人のことが心配になると、居ても立ってもいられないようになり「もし私が彼のことを思うなら、今すぐこの仕事をやめて、どこへでも彼と一緒に行かなくては。それが愛した人の努めなのだから」と。勝手な理論を展開し、周囲の状況も考慮せずに心の意見に従い、浅はかな未熟な思考で人生を狂わせていきます。

 
アニムスの意見は、他人に非常に苛立たしさを与えます。その意見は論理的であり絶対論者であり、話し合いにも修正にも応じようとしないからです。アニムスに支配された女性に不合理を説得しようとしても不可能で、自分自身の意見や感情から切り離され、陳腐で大ざっぱな意見を通し、一般論と同化します。そして、この意見がアニムスによって自分自身に向けられたとき、女性は強い抑うつ状態に陥り、活力を失っていきます。

 
女性がアニムス像を投影している男性が、理性や理論、真理に従う場合、このような男性は女性のアニムスを具体化することに長けています。アニムスはあらゆることを判断していきますが、その思考は内側から押し寄せてくる、自分では打ち消し難い強いものです。女性は識別能力の未発達さゆえに、外部から入ってくるものを、きっと何かを解明してくれるものと思い込んで、価値あるものも無価値なものも、尊敬の念で自分自身に取り入れます。なんらかの意味で精神的に必要と感じるものすべてが、女性を虜にしてしまうためです。

 
こうしたアニムスの「切断する力」は非常に強いです。彼女はあらゆること、あらゆる人を区別し、判断し、切り捨てていきます。彼女の言うことは一般的で論理的で正しく、しかしながら現実世界の状況や個人的な感情にそぐわないため、人間関係を破壊していきます。周囲は彼女を認めながらも敬遠し、徐々に彼女のそばから離れていきます。その発言自体は正しいため、関係性を切り捨てるのは当然かもしれませんが、結果として人から切り離された孤独を味あわなければなりません。

 

 

3つめのアニムスの特徴は「創造的な女性性の否定」です。周囲の人たちが、その女性の温かな感情面にふれるのを妨害します。強いアニムスを持った女性のまわりにいる男性や子供は、愛情を拒まれたように感じます。アニムスは本来持つ母性と敵対的な関係にあり、誰をも包み込んで一体となろうとする母性を妨げ、何もかも切り離して孤立しようとします。こうした女性は一目に厳しく冷淡に映り、傷つけられるのを恐れる人たちは彼女を警戒します。アニムスの意見は不愉快で破壊的で、人に対してあからさまな批判をし、耐え難い存在になっていきます。

 
けれど、アニムスにとり憑かれた女性自身も逆に傷つきやすく、なぜ人が自分を受け入れてくれないのかわからず当惑します。強い批判が自分自身にも向けられ、自己の価値感を破壊し、自分自身も耐え難い存在になっていきます。また他者から批判を受けた場合、アニムスの作用はさらに強力になり、自ら周囲を切り捨てながら、自分に対する批判を重ねていきます。そして妙な論理で罪悪感に覆われ、自己肯定感を完全に失っていきます。アニムスに支配された女性は、殉教者に似ています。

 

 

アニムスの4つめの特徴は「極端さ」に現れます。all or nothingの考えで、中間がなく、女王様か乞食かの二者択一です。まるで女王様のように振る舞っていたかと思えば、その内側の声に支配され、突然乞食なってしまうという転落の人生を生きます。自分の行為を嘆き「私って本当に可哀想だわ!」と言います。

 
人に対して情け容赦なく切り捨てるかと思えば、ささいなことに感動して涙したり、周囲はアニムスにとり憑かれた女性の感情を理解することが困難です。アニムスは偽りの反省の名人でもあり、常に現状に満足できないため「ああすればよかった」「こうすればよかった」と反省しているように見えますが、彼女はそれによって自分が責任をもって生き方を変えようとはしません。

 

 

アニムスの5つめの現象の典型として、未知の遠いところ、河川、森、山、冥府へと、抵抗しがたく引き寄せられて連れて行かれます。通常のアニムスの本性とは逆で、意識ではなく無意識へと導かれます。自然の中や自分自身の内側へ姿を消すことや、眠りふけるというのは、日常生活に耐え切れず現実意識から離れて未知の世界へ消えていく行為です。多少なりとも意識されていた空想の世界や、外界を代償する避難所となるような世界です。

 
しかしその世界は、もはや覚醒意識に戻って来られないことがあるほど、暗く遠く深いところです。どこかへ引き寄せられる感じはしますが、自分がどこへ行こうとしているのかわからないのです。その期間はとてつも長く、不意に姿を消した女性が、20年かかって現実世界に戻る例もあります。そして再び自我意識に戻ったとき、その間に何が起こったかは認識できないのです。

 

 

 

 

ユングはかつて言いました。
「人は自分自身の人格については常に無知である。己を知るためには他人が必要である」と。このようなアニムスにとり憑かれた女性は、人間関係にどのような影響を与えるのでしょうか。

 
アニムスの最も未熟な主張は「どうして私がそれをしてはいけないの?」という形で現れます。皆がしていること、男の子がしていること、大人がしていること、どうして私がそれをしてはならないのか。その背後に平等とか人権とか道徳とか、最近読んだばかりの「知識」が強力な後ろ盾となり、周囲を攻め立てていきます。

 
女性がいわゆる女らしい特性を身につけてく反面で、アニムスは無意識の中でだんだんと力を増し、その影響を自我に与え始めます。ユングは「アニマは男性にムードを醸し出させ、アニムスは女性に意見を主張させる」と述べています。アニムスの力が強まると、女性はがぜん意見を主張し始めて「~すべきである」「~でなければならない」と言います。

 
こんなとき、この女性に反対意見を言うことは不可能です。多くの男性はムードで訴えようとして「そんなこと言っても可哀想じゃないか」「もう少し同情してあげたら?」と言ってみますが、感情にとらわれて正義を曲げることはできないと確信しているアニムスは再び攻撃を始めます。

 
もし相手の男性をアニムスが支配できない場合、アニムスの支配力は外部へと向けられます。アニムスの超人的で神的な在り方は「願望」を実現しようと働き、それを信じ込ませることに長けています。「理想の愛」「己を虚しくして人に尽くす人」「痛ましくも哀れな女性」「何か良いことをするためにこの世に生を受けた者」を描き出します。アニムスの活動は、自ら進んでか強いられてかはわかりませんが、この見せかけの願望を断念し本来の自分を見ようとするまでの間、支配された心で人を支配しようとし続けます。

 
女性がアニムスにとり憑かれた状態は、男性をひどく苛立たせ、怒りを爆発させることがあります。アニムスが語る内容には、自分を嘆き、相手を責めるような調子があるからです。理解力のある男性であれば、アニムスの仮面の下で愛を求めていることに気づくかもしれませんが、それをまたアニムスが怒りに変えてしまいます。アニムスの仮面の下には、自分を突き離した相手をなじり、責める感情とともに、自分を傷つけた相手への仕返しの思いが隠されています。

 

 

 

 

アニムスにとり憑かれることは、とても禍の多いことです。もし女性的な要素がアニムスに圧倒され背後へ押しやられると、酷い抑うつ、全般的な不満足感、感情の消失など、人格の半分がアニムスに侵害され生活を奪われて身体症状を呈するようになります。

 
アニムスの力が手に負えなくなってきたとき、女性は母性を発展させなければなりません。一見敵対しているかのようですが、実は相補的な関係を形づくっています。アニムスに鍛えられない母性はあまりにも幼く、母性によって支えられないアニムスはあまりにも冷たいのです。また人生を切り捨ててきた女性は、大きな屈辱を味あわなければならなりません。アニムスにとり憑かれている女性は「他人の」無能さが嫌というほど見えますが、アニムスと向かい合った女性は「自分の」無能さを嫌というほど思い知らされます。

 
しかしながら、アニムスは憑依が完全であればあるほど、女性自身はとり憑かれていることに気づくことが難しくなります。アニムスと同一視で何かを考え、語り、行ない、それを妙な論理で確信するからです。アニムスの語る考えや意見が、自分自身の信念でないことに気づくことが非常に困難なのは、アニムスが社会や歴史や時代に形づくられた普遍的な精神を持つためです。

 
中には、仕事や学問のことになるとテキパキと有能性を発揮する女性が、場所や機会が変わると、驚くほど安っぽい女性性をふりまく場合があります。彼女の心はアニムスと未熟な女性性のバランスを保とうとしていますが、アニムスの出現によって簡単に砕かれてしまいます。アニムスの恐ろしさを知る女性は数少ないと思われますが、これは日本男性のアニマの発展が、低い段階にとどまっていることと関係しているのかもしれません。

 

 

グリム童話『つぐみの髯の王さま』はアニムスの存在をよく表しているので転写します。

 

 
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グリム童話『つぐみの髯の王さま』
昔話の深層 ユング心理学とグリム童話/河合隼雄 より一部抜粋

 

 
ある王さまに、お姫様が一人おありでした。それがまた綺麗なことは桁外れに綺麗のですが、ひどく気位が高くていばりんぼときているので、どんな求婚者でもこれでいいということがありません。次から次へとかたっぱしから袖にした上に、ひとこと余計な皮肉まで浴びせかける始末でした。

 
あるときのこと、王さまは大きな宴会を開き、遠くの国々から、われこそお姫様の手をと望む殿方をお招きしました。さて、お姫様は、その相手も片っ端からケチをつけずにはいられません。初めの人は太りすぎでした「酒樽さん!」とお姫様が申しました。2人目はのっぽすぎて「のっぽでふらふら腰くだけ!」、3人目は背が小さく「ずんぐりむっくりぶかっこう!」、4人目は血色が悪く「死神じゃないの!」…。

 
とりわけお姫様の笑い者のネタになったのは、かなり上座にいた善良な王子さまで、この人はアゴがひょいと曲がっていました。「どうでしょう、あのアゴ。まるでつぐみのくちばしみたい。」とお姫様が言って笑ったので、この王子さまは、この時からというもの「つぐみの髯」という名が王子さまに冠せられました。

 
父である王はカッとなって「よろしい、それなら次に戸口に現れた乞食をおまえの婿にしてやる」と言い、3日後に現れた乞食に、本当にお姫様を女房にしてしまいました。「さて、おまえも乞食の女房になったからには、この城にはふさわしくない。出て行くがよかろう。」と言い渡し、お姫様を追い出しました。

 

 
お姫様は外に出て、綺麗な森や、美しい緑の牧場や、大きな都を見るたびに「これは誰のもの?」と聞きました。」「これは、つぐみの髯の王さまのものさ」。それを聞くたびにお姫様は「あたしって可哀想!あいつにしときゃよかったわ!」と叫びました。そして乞食の小さな小屋につき、お姫様は召使がいないこと、何でも自分でしなければならないこと、あげくに乞食の食事の世話もしなければならないことを知りました。

 
そして明け方早々からカゴ編みの仕事をさせられ、手が傷だらけになった上に出来ない始末で、ご亭主の乞食に怒られました。そして糸つむぎを与えられましたが、これも柔らかい指に糸が食い込んで血が落ち、お姫様にはできませんでした。ご亭主は「おまえなんぞ女房にもらって、ひでえ貧乏くじだぜ!」と言い、今度は皿小鉢を売りに行かされました。お姫様は「あーあ!」と思いながらも、餓死しないためには売るしかありません。ところが突然、市場に驃騎兵がのりつけ、お姫様が売っていた壺や皿小鉢を粉々にしてしまいました。

 
ご亭主は「場所もあろうに!なんだって市場の角っ端に座るなんて!」と怒り、「わかった、何ひとつ人並みのものの役に立たねぇってことだ!」と言って、今度は、ある王さまのお城に台所女中として辛い下働きをして、ただ飯をいただくことになりました。小さな壺を小脇にくくりつけ、美しいお姫様や立派な王さまや、お客さまたちの食べ残しをもらって家に持ち帰ることになりました。

 

 
お姫様は次から次へと目を奪う美しいお客さまがたのご入来を見て、まばゆいばかりの栄華をきわめたその有り様に、女はそぞろ我が身の不運が思われて心も暗くなり、自分をこんな目に引きずり下ろし、貧乏のどん底まで突き落とした我と我が身の増上慢を呪いました。贅を尽くしたお料理から、召使たちが一切れ二切れ放ってくれるのを、お姫様は自分の壺にしまいこみました。

 
そこへビロードと絹のお召し物で、首には黄金の鎖をかけた王さまがやってきて、その王さまは、以前自分が袖にしたつぐみの髯の王さまであることがわかりました。王さまがお姫様を大広間へ引っ張り込もうとしたとき、小脇にくくりつけていた紐が切れ、例の壺が転がり落ちて、中のスープやご馳走がぶちまけられました。人々はそれを見てどっと吹き出し、あざけり笑いました。お姫様は恥ずかしさでいっぱいになり、穴があったら千丈も下までもぐりこみたいほどでした。

 
…そしてようやく、お姫様は自分が行なってきたことに気がつき、高慢チキは折れ、人を馬鹿にする驕りを反省して涙しました。その後お姫様の運命は好転し、やっとほんものの喜びが始まったのでした。

 

 

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心の中の対話(内的対話)は、言語であり、思考であり、意識的なものであると認識していました。けれど、どうしても止まらない内的対話や、自分が思ってもいない内的対話が起こることに不思議さを感じました。そして無意識について模索し始めたとき、同時に自分が見る夢の象徴が総体的に変化していることに気づき、ユング心理学を探求し始めました。この経験がなければ、私はアニマ・アニムスの存在を知らないまま、ずっとアニムスを無視し続けたと思います。非常に恐ろしいことを実感しました。

 
アニムスの力は、否定的側面においても肯定的側面においても、人を変え、人生までも変えてしまう強さです。外界世界への恐怖や不安をも失わせ、自分が影響でき得る範囲を超えて支配しようとする力は、まさに盲目になります。もしかすると“人としてのルール”をも見失い、一瞬の迷いが犯罪に繋がることも起こり得るかもしれません。外側に自分を誇示し、内側では強い自己否定という、自分自身との不一致は、人格を狂わせてしまう恐れもあるのです。とはいえ、犯した過ちを取り消すことはできません。そうなる前にアニムスの作用を知っておいて自分に気づくことが、衝動にブレーキをかけ、自分自身を守る最善の方法です。

 
以前の話ですが、死ぬことを決めたとき、私はアニムスの否定的側面の作用によって、完全な自己否定に陥っていました。ただ、直前になって「死ぬつもりなら何でもできる」とアニムスが言葉を変え、自分自身を救ったのは興味深いところです。アニムスの力がいくら強靭であっても、意識である自己の存在がなくなると、当然のことながらアニムスも同時に存在がなくなります。このことは、まず自己(セルフ)があり、次いで意識(セルフ1)があり、そして無意識(セルフ2)という優位性を示しているのかもしれません。私たちはセルフ2に支配されていてはいけないのです。支配権をセルフに取り戻し、セルフ1とセルフ2との良好な関係をデザインしていく必要性を感じています。

 

 

 

 

ー参考文献ー
内なる異性/エンマ・ユング
人間と象徴/C・G・ユング
元型論/C・G・ユング
見えざる異性/ジョン・A・サンフォード
昔話の深層~ユング心理学とグリム童話/河合隼雄
ギリシャ神話入門/長尾剛
ユングの世界/E・A・ベンネット

 

 

 

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