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《内なる異性Vol.3》恋するって何?ーアニマ・アニムスの投影

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無意識には「個人的な無意識」と、時代や歴史や文化に基づいた普遍的な「集合無意識」があるとユングは明示しました。そしてまた、その無意識と意識をつなぐ橋があることを示唆し「元型(アーキタイプ)」としました。その一つは男性の内側に存在するアニマ、もう一つは女性の内側に存在するアニムスと名づけました。

 
「自分」とは自己のことをいい、自己は「自分が思っている自分」と社会が期待する「ペルソナ(仮面)の自分」がいます。さらに無意識として影のように存在する「アニマ・アニムス」がいます。まだ未熟な男女が成長するとき、初めて出会うのがこのアニマ・アニムスであると言われていますが、私たちはどのようにして自分の内なる異性と出会うのでしょうか。

 

 

 

 

男性は普通、男とはこういうものである、という考えを意識し、自分の内側にある女性的な要素は無意識化させているため気づくことができません。女性は逆に、自分が思う女らしさを意識し、自分の内側にある男性的な要素に気づくことができません。人は自分自身のことを自分ひとりで知ることができず、外側の世界へ投影することで自分に気づきます。アニマ・アニムスも、「他人は鏡である」という原理と同じです。よって、男性は自分の女性的な要素(アニマ)を外的世界の女性に投影し、女性は自分の男性的な要素(アニムス)を外的世界の男性に投影することになります。

 
つまり男性が見る女性との間にはアニマがいて、女性が見る男性との間にはアニムスという見えない影が存在しています。アニマ・アニムスはそれぞれの男女が投影した理想のイメージであり、どんなときもそのイメージを通して相手を見るため、二人の関係に大きな影響を及ぼします。投影が起きている間、例外なく投影された相手は、レンズを通すかのように過大評価されるか、過小評価されるからです。投影しているアニマ・アニムスのエネルギーは絶大でそのイメージは強力な作用を及ぼし、あるがままでいようとする相手を、まるで磁石のように引きつけたり撥ねつけたりして、人間関係のさまざまな争い事の原因になっていきます。

 
アニマ・アニムスは、否定的な側面と肯定的な側面を持っています。きわめて望ましい魅力的な存在になるときもあれば、破壊的で手をつけられない暴君に変容することもあります。男性によってアニマの肯定的な側面を投影された女性は、彼にとって理想的な素晴らしい存在になります。彼女の魅力は彼を惹きつけてやまず、彼はその中で幸せと恍惚感を感じます。また容易に彼のエロティックな空想と欲求の対象となり、その女性と一緒にいて性的に結びつくことができるかぎり彼の願望は満たされます。
 
おそらくこのような状態を、私たちは「恋をする」と呼んでいます。

 

 

男性が持つアニマのイメージは「象徴」として現れます。多くは神話や童話や絵画の中に表わされています。創作をした本人はその作品の意味について気づいていないことがほとんどですが、創作者はともかく自分自身の内側の感覚に従って創作します。そのとき、おそらく創作したというより「創られた」という感覚を持っています。そしてその後、何十年も何百年も経って、物語や絵が客観化されることによってその意味や価値が悟られるのです。現在、心理療法においてクライアントが書く絵や物語、創作するものにクライアントの内的世界が映し出されているとして、数多くのセラピーが開発されています。言葉で表わされていない非言語の部分に、その人の無意識化されている要素が現れています。

 
男性が女性に投影する肯定的なアニマは「女神」「妖精」「鳥」「水」のような抽象的なイメージを主としています。アニマの投影は“神秘”であり、なぞを持ちながら、創造的で情緒的な女性に向けられるのが一般的です。ユングはアニマを「生命を強化するための誘い」と定義しています。捕らえどころがなく、しかし、男性にこの人生を生きるに値すると思わせてくれる唯一のもの、魂であると表現しています。男性から見ると、不思議さをまといながらも魅惑的で象徴的なエネルギーを感じる女性は、アニマ像を投影するのにふさわしい、自分を成長させてくれる理想的な対象になります。

 

 

当然のことながら、強力なアニマを投影された女性は喜びを感じます。大切にされ、特別な扱いを受けているように感じます。女性は少なからず相手を手中に治めたような、相手を支配しているような力を感じます。他人からイメージを投影されると、その人は相手に支配力をふるうことが可能になります。逆に相手に投影すると、自分は相手に支配される立場になります。お互いに投影が行われ始めたとき、つまり相思相愛が成立した時期は、お互いに引きつけ合い幸せな時期であると言えます。

 
けれど同じ状況は長く続かず変化します。彼女は、自分が彼の投影しているイメージ通りの女性でなければ、彼が不満を感じるのがわかってきます。彼女が自分らしくあろうとすればするほど、彼が投影したアニマとの間に違いが生じ、彼は不機嫌になり関係性が重くなり始めます。彼はあるがままの彼女を見ていたのではなく、自分のアニマを投影していたにすぎないからです。彼は自分が投影する女性的イメージを、彼女自身が実現し生きてくれることを望み、この願望が必然的に、あるがままの彼女と衝突してしまいます。

 
徐々に二人の関係性は強迫的になっていきます。彼が投影しているイメージの強さに圧迫を感じ、女性は自由でいられない窮屈さを感じ始めます。けれど女性の方も彼にアニムスを投影している場合、お互いに投影をやめられないため、彼のイメージを満たすことで関係性を維持しようと無理をし始めます。中には性的な繋がりだけが、二人を維持する状態になってしまうこともあります。お互いに関係性を保ちつつ、こうした相違が二人の間にさまざまな問題を引き起こし、穏やかでない一触即発の雰囲気が高まっていきます。

 
男性は自分が不機嫌なのは女性に原因があると考え、自分の心の責任を相手の女性に負わせようとします。肯定的な投影は、突然否定的な投影に入れ替わるのです。自分自身の女性的側面を投影し、そのイメージが及ぼした不快な作用ですが、何も知らないたいていの男性は、自分の不機嫌を彼女のせいにします。すると女性の方もさらにアニムスの作用が強まり、男性的な在り方へと変貌し、男性に腹立たしさを与えます。こうして二人の関係性は相互作用で破局へと向かいます。

 

 

 

 

女性が男性に投影する肯定的なアニムスは、「救済者」「英雄」「精神的指導者」のイメージを主とし、彼女は彼を過大評価します。アニムスの投影は“言葉”を巧みに操る能力を持った男性に向けられるのが普通です。女性から見ると、言葉や観念を巧みに操り伝達能力に長けた男性は、アニムス像を投影するのにふさわしい、自分を成長させてくれる理想的な対象です。

 
投影が起こるとその男性は実物以上の存在となり、彼に惹きつけられ、彼を究極の男性、理想の恋人と見なします。「見えざる異性」の著者ジョン・A・サンフォードは、こうなった女性のことを「男性という焔のまわりで羽ばたく、忠実可憐な蛾の運命を甘受する」と表現しています。女性は自分自身の創造的エネルギーのすべてを男性に捧げ、自らの炎を失った人間に成り果てるまで彼に自分のアニムスを投影し続けます。

 
例えばドイツのアドルフ・ヒットラーも、当時多くの女性からアニムスを投影されていました。彼には言葉を操る魅力的な才能があり、彼が演説をすると、何か独特な雰囲気が醸し出されていたそうです。ドイツの母親たちは彼の言葉の魔力に魅了され、大切な息子を戦争で殺されることもいとわず、多くの女性がヒットラーの虜になっていたそうです。

 

 

女性からアニムスを投影された男性は、自尊心をくすぐられます。男性は投影されたその力強いイメージを自分の本当の姿であると思い込み、自分の本当の姿を見る謙虚さを失ってしまいます。あるいは、それに負けないイメージをつくっていこうとしますが、そこに自分自身との不具合が起こります。しかしながら男性も彼女に自分のアニマを投影している場合、関係性を維持していこうとするため二人の間に緊張が生じ、険悪な雰囲気になっていきます。

 
相手の男性が精神的指導者や成熟した精神の持ち主である場合、女性は彼に対し自分の支配欲を満たすことが難しくなり、その未熟な欲求は彼以外の外部に向けられます。友人関係や仕事などあらゆる関係で人に対して支配的になり、また彼以外の男性と関係を持つことで支配欲を満たそうとします。アニムスが強くなり過ぎた女性は徐々に本来の女性性を失い、男性が投影するアニマを体現することが難しくなってきます。また女性が彼に投影していた肯定的なアニムスも否定的なアニムス像へと変貌し、やはりお互いに関係性を維持できなくなってきます。

 

 

 

 

恋をすることは、心の世界を拡げる素晴らしい経験です。恋は人格を成長させ情緒を豊かにする舞台であり、いつの時代も人は恋愛を繰り返して人生に彩りを求めています。しかしながら現実世界の恋は、映画やドラマのようにHappyな場面で止まるわけではありません。自分が相手に投影したイメージが満たされないことがわかったとき、変化が訪れます。無意識が発する魔術的で魅力的なイメージを、現実の人間に求め続けることは無理なのです。別れが訪れるか、不快な関係のまま維持し続けるか、もしくはシェイクスピアのように悲劇で終わるしかありません。

 
人間はその豊かな想像力があるがゆえに、事実を見ることができない唯一の動物です。私は、なぜ人は相手のことをほとんど知らないのに、ある一部分を通してすべてを好きになるのだろう?そしてまた、なぜ人は相手のたった一部分を通して全人格を疑い嫌いになるのだろう?と不思議さを感じていましたが、その原因は“投影”にあったからだとわかりました。おそらく無意識的に、自分の成長に合わせて、自分に不足している要素を持つ人と出会い、自ら投影して「好きになってしまった」「一目惚れしてしまった」「運命の人」と表現するのでしょう。

 
受け入れ難いかもしれませんが、相手は自分が“投影”した存在に過ぎず、自分もまた相手が“投影”した存在に過ぎないのです。私たちはあまりにも高度な身体機能を持ち、あまりにも多くの知識を得たために“そのもの”を体験することができません。フランスの画家クロード・モネはこう言ったそうです。「もし私が盲目のまま生まれ、突然目が見えるようになったら!そうすれば目に映るものが何であるかを知ることなく絵が描き出せるだろうに!」と。

 

 

恋をしている状態が幻想の世界であることを、私たちは認めたくありません。自分のあらゆる欲求を満たしてくれる相手や、理想とするイメージに叶う相手は存在しないことをわかりつつ追い求めるのは、エゴがあるからです。こうした幻想の関係性に自分の幸せを求めても、叶わないことは明らかです。真実の愛は、相手をあるがままの一人の人間として知り、その全人格を愛し慈しんで何も求めないことにあるのかもしれません。

 
ただ、相手のすべてを受け入れて何も期待せず、また自分自身もあるがままで何の期待もされなければ、人生はきっとつまらないものになってしまいます。体の中心から溢れ出る悦び、自分に存在価値を与えてくれる人に愛を伝え、またそれを相手に与えられる存在になることを望みます。いかなる人もアニマ・アニムスを投影せずにはいられないのです。

 
自己を発展させ、人生に彩りを与え、幸せを手にするために、私たちは時代の変化に見合う道を模索していかねばなりません。私はその重要な鍵が、1800年代にカール・グスタフ・ユングが探求した『内なる異性』にあると感じています。基本になることはすでに先人たちが示唆してくれていて、今私たちはそれを活かす知恵を必要とされているのだと思います。

 

 

 

 

ー参考文献ー
内なる異性/エンマ・ユング
人間と象徴/C・G・ユング
元型論/C・G・ユング
見えざる異性/ジョン・A・サンフォード
昔話の深層~ユング心理学とグリム童話/河合隼雄
ギリシャ神話入門/長尾剛
ユングの世界/E・A・ベンネット

 

 

 

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