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Yamasaki Rinko

《内なる異性Vol.1》人間は両性具有ーアニマ・アニムス

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私たちは両性具有ですと言ったら驚かれるでしょうか。両性具有というのは、男性であれ女性であれ、どちらの性も持っているということです。実際の生活場面においても、いかにも男っぽい男性や女っぽい男性、いかにも女っぽい女性や男っぽい女性が変数的にいることを、私たちは感じざるを得ません。

 
男と女の明確な違いは、子供を産む身体機能が有るか無いかです。ただ単に子供を産む生殖機能を持つ人を女性と呼び、精子をつくる生殖機能を持つ人を男性、と呼んでいるだけなのかもしれません。男女平等の時代になってしばらく経ち、職業においての性差別は一応なくなり、最近では男性看護師、保父、育児を行なうイクメン、家事をする主夫の方など見られます。私たちは、子供を産む機能以外のことを男女が逆に担うことも可能なのかもしれません。

 
そもそも42億年前に原始生物が誕生したとき、それは単細胞で性がなく、有性生殖で自分とまったく同じ子孫を生み残してきました。ところが地球には全球凍結や隕石の衝突など生物にとって望ましくないことが起こるため、より強い遺伝子を残していくために生物は進化する必要がありました。そしてあらゆる生物は相違ある2つの性をつくり、相反するものを統合し進化した生命体を生み出すようになり、私たち人間も男と女という性を維持しています。

 
ただ私たち人間は、、他の生物たちのように生命維持と子孫繁栄だけを目的に生きているのではないと思います。もし偉大なる宇宙に、人間を創った大いなる何かが存在するとしたら、この相違ある2つの性に何を求めて創り出したのでしょうか。

 

 

私たちはいつの時代も男女の問題から離れることができません。この世には男と女という2つの性しかなく、互いがまるで磁石のように引き合ったり反発し合ったりしています。心というのはとても複雑で、姿形がなく抽象的で漠然としたものです。自分の思考が自分自身をつくり自己実現すると言っても、ときに私たちは自分が意としない、何かに突き動かされるような予想外の行動をしてしまうことがあります。まったく心にないことを口走ってしまったり、突然違う考えや感情が出てくることがあります。
 
心の中の対話が意識とは裏腹に勝手に行われ、その言葉に無意識的に従い、自分が意とすることとは対立的な行動をとってしまうことがあります。それはまるで、自分とは違う存在が心の中を支配しているのではないかと思うほどです。

 
初期キリスト教の理論家であるパウロが「私の欲する善を私は行わず、私の欲しない悪を私は行なう」と言っているのが、その無意識的な行動を表しています。つまり私たちの中でときおり自分たちの知らない意志があらわれて、私たち自身が望むことの反対を行なうという体験です。ただこの意志が行なうのは必ずしも悪とは限らず、善になることもあります。おそらく善とか悪とか言えない、何か人類や物理やそれ以外のものも含まれるような大きなものと繋がった高い存在のような気がします。

 

 

とくに男女関係というのはとても不可解で、なぜこんなことになってしまったのか?なぜ言うつもりじゃなかったのに言ってしまったのか?なぜあんなことをしたのだろう?…ということが往々にしてあります。そのことで上手くいかなくなる場合もあれば、後々振り返ってみれば、そのことがきっかけで不思議なほどあらゆることが上手く運んだという場合もあります。ただ私たちは何が起こっているのかわからないため、結果的に良くなかったことは「自分を見失っていた」とし、結果が良かったときは「奇跡的に」という曖昧な言葉で表現して終わらせています。

 
普段私たちが思考をめぐらせている脳、つまり意識は全体の約3%と言われ、無意識が占める領域は93%であると言われています。ということは意識されない“無意識の領域”で行われていることが大半で、そこに人の不可解な行動の意味を解決する糸口があるかもしれません。私自身も、奇跡のような偶然を起こしたり、あり得ない暴言を吐いたり、あるいは突然心の中のささやきが一変したりという体験を何度もしています。

 
まるで見しらぬ霊魂によってエネルギーを吹き込まれたり、とり憑かれたり、そこにある流れに逆らえない、そういった感覚の原因は何なのか。自分自身の不可解さを放っておくことができず本を読み進めるうちに、ユングが提唱した『アニマ・アニムス』を知ることになりました。

 
人間は高度な機能を持つからこそ難解で、まだ解明されていない部分が多くあります。ただ、意識されていない事柄を意識で認識していくことは自分自身を知るために必要不可欠であり、自分の中に隠れたもうひとつの性「アニマ・アニムスの存在を認識すること」は、相違のある男女が学び成長し自己実現していくために必須であると感じます。うまくいかない男女関係、うまくいかない自己実現の問題は、もしかすると内に潜む彼らが、何かしらの意図をもって、私たち自身に知らせようとしているのかもしれません。

 

 

 

 
「あらゆる男の影には女の影があり、あらゆる女の影には男の影がある」とアメリカインディアンが言っています。単なる個人的見解ではなく、古くからあるアメリカインディアンの信念としてこのような考えが存在しているようです。
古代の錬金術師たちも「われらが両性具有者アダムは男の姿をとりつつも、その肉体の中にはイブを、すなわち女性的部分を秘めて持ち歩く」と言いました。

 
神話や童話や昔話に不思議さを感じていらっしゃる方は多いと思います。神話に登場する神様は崇高というより闘いばかりしています。童話には大人でも鳥肌が立つような恐ろしさがあります。昔話にも不思議な世界があります。けれどここに、私たちが見失ないがちな心理的真実が表現されています。例えば神は両性具有者とされ、最初に創り出された人間たちは神と同じように男であると同時に女でもありました。ギリシャ神話と日本神話はとても似通っていて、彼らは現代にあるような道徳やルールに縛られず、自然のまま、思うがままに自らの今日と明日を、自分の力だけで力強く生きています。よって私たちの自我を外した深層心理が、神話や童話や昔話の持つ“意味”として無意識を表していると考えられています。

 
創世記の第五章はこんなふうに始まっています。「神はアダムを創りたもうたとき、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。神は彼らを祝福してアダムと名付けられた。」
創世記第二章では、神が女性を創り出そうと望まれたとき、神はアダムを深く眠らせてアダムのあばら骨のひとつを取り出し、その骨からイブを創り出されたと語られています。明らかに人祖アダムは男性でもあり女性でもあったわけです。もともと一つであり両性具有であったアダムが、こうして二つに割れたとき以来、切り離された者同士が性的欲望を介して相手を求め、再び合一しようとする渇望が生まれました。そして続けて語っています。「それゆえ、人はその父と母を離れて、妻と結ばれ一体となるのである。」

 
プラトンの「饗宴」にも古いギリシャ神話から人祖のことが書かれています。
原初の人間たちは完全な球体をしていて、手足はそれぞれ4本ずつ、頭部は一つで、そこには反対を向いた二つの顔がついていました。この球体人間たちには素晴らしい能力と知性が備わっていて、神々と力を競い合うまでになりました。そこで神々は恐れと嫉妬から彼らを二つに割り、その力を削ぐことにしました。球体をしていた最初の人間たちはそれぞれ二つに割れて、女性と男性になりました。この話によれば、それ以来別々になった原初の人間たちは、自分自身の片割れである他の半分と再び出会い、結合することを求めてきました。そして「一方がもう一方の半分、つまり自分自身の半分と出会うとき、その一対は互いに訳の分からない不可思議な愛と友情と親近感を覚え合い、瞬時たりとも離れていようとはしたがらない。全生涯を通じてよく親交を継続するのはこの人たちである。しかし彼らは、お互い同士何を望み合っているのか説明できない。」と語っています。

 
原始的な治療者、つまり呪術師であるシャーマンには、たいていそれぞれの守護霊がついており、それが彼の癒しの術を助けたり、教えたりしています。シャーマンが男性の場合、守護霊は女性で、男性シャーマンの霊的な妻として働きます。シャーマンが女性の場合、守護霊は男性で、彼女の霊的な夫となり、彼女は現実にいる夫以外にもう一人の霊的な夫を持つことになります。

 
ロシアの神秘主義的な哲学者ニコライ・ベルジャーエフは、
「人間は性的な存在であるばかりでなく、また両性的な存在で、己の中に男性的な原理と女性的な原理とをさまざまな比率で結合させ、この二つの原理はときに激しく対立することさえある。女性原理が完全に欠如している男性は抽象的な存在であり、宇宙の元素から完全に切り離されている。また、男性原理が完全に欠如している女性は、人格とはなり得ない。完全な人間をつくり上げるのは、これら二つの原理の調和的な結合しかない。この結合は、男女いずれの場合にも、それぞれ半男半女的存在、両性具有としての本質の中で実現されるが、それはまた相違なる二つの本質、男性性、女性性との相互交流を通しても実現される。」と。

 

 

 

 
日本の教育はこうした事柄の意義を失くし、意識される自我だけが自分のすべてであると思い込む教育をしてきました。私たちは相手のことどころか自分自身のこともわからず悩み、関係性は破綻し、しかし次の得策も見つからず、エネルギーを散漫させ、自分自身との関係にも疲れてしまっています。けれどすでに心理学・脳科学では、意識された自我とは自分の一部にすぎず、さまざまな現象は意識の外の精神領域で行われているとされています。夢だけでなくその他多くの理解不可能な現象も症状も、そうした領域の中にある働きによるものであり、その『無意識』の活動が明らかになってきています。

 
C・G・ユングはとりわけ詳しく、無意識の探求に関わった心理学者です。ユングは個人的な無意識と、非個人的な集合的無意識との間を区別しました。個人的無意識は、個人の忘れられた記憶や、抑圧されたものや、意識外で知覚されたり考えられたり感じられたりするものを含みます。さらに個人が獲得したものだけではなく、遺伝や歴史的・文化的な背景をもった無意識構造も存在します。これは多くの神話にも見られ、伝承や伝播されずとも、すべての人の中に存在する元型(アーキタイプ)としました。

 
そして男性・女性の内部で自我と対立する、この2つの元型を『アニマ』『アニムス』と呼びました。アニマとは男性の人格の中にある女性的要素のことであり、アニムスとは女性の人格の中にある男性的要素のことです。ユングはこれらの用語を「活気づける」という意味のラテン語「アニマーレ」からとったと言われています。ユングにとってアニマやアニムスは、男性や女性を活気づけてくれる魂、あるいは霊のように思われたようです。アニマ・アニムスとは、私たちの中にある女性遺伝子・男性遺伝子のうち、どちらか少ない方の遺伝子を人格化したもので、この2つの元型を含む無意識は生涯消えることのない「もう一人の自分」です。

 

 

そもそも「男性」とは何か、「女性」とは何か、という問題が出てくると思いますが、確かに両者に違いがあることを感じます。けれどそれは、男女の中に奥深く存在している根本的なものなのか、それとも社会的に割り当てられた役割分担で形成されたものなのか、ということについて考察しなければなりません。私たちは、男は男らしくあるべき、女は女らしくあるべき、という作られたイメージに合わせて各々が男女を演じているのかもしれません。女性の子供を産む生理的機能とそれに伴うホルモンの作用を除けば、男性は女性が行なっている能力を果たすことが不可能かと言えば、そうでもないと思います。逆も同じです。

 
ユングの考え方は、文化的、社会的な期待と役割りは当然のように男女の生き方に大きく影響しているはいるものの、なお、男女の行動の奥底には元型的な心理的様式が存在する、としています。例えば古代中国の道教(タオ)では、男性を陽、女性を陰と表現しています。これは男性性、女性性によるエネルギーの流れを表しています。イメージでは陽は太陽、陰は月であるとされていますが、この二つの極は宇宙の原理であり、その相互作用と関係によって物事の成り行きが決まるという知恵を表しているものです。つまり目の前にいるのは確かに男であり女であるけれども、宇宙の原理で見てとらえた場合、両者は同時に必要なもので、自然の一部として存在していることを意味しています。

 
神話や哲学、文化的に男女を読み取っていくと、男女は「相反するもの」でありながら「補い合うもの」のような気がします。その中でアニマ・アニムスがどのような役割りをもち、どのような働きかけをして、私たちはどのように対応するべきなのか、考えていくことは自分自身を知る第一歩になるのではないかと感じています。男女そもそもの違いについては、アニマ・アニムスをそれぞれの人生に照らし合わせながら、自分なりの判断を下されることがよいかと思われます。

 

 

「アニマ・アニムス」の作用には特徴があり、その人が人生の中で関わるもう一方の性の代表者、つまり恋人や夫や妻など異性との“経験”によって“変化”していきます。このことは重要な意味を持っています。

 
おそらく、それぞれが発達する過程において、たびたびこの「アニマ・アニムス」は肯定的になったり否定的になって作用します。一面的になろうとしている自分に対し、欠如している要素を相手に投影することで自分自身に気づくこと、そして自分の内面を是正して個人が成長・発展していくことを、私たちは繰り返すのではないかと思います。そうして男性が持っている本来の男性性と内なる女性性、女性が持っている本来の女性性と内なる男性性とを、未熟な自我とすったもんだしながら、本質をバージョンアップしていくのではないでしょうか。

 
あなたの周りにいる魅力的な異性を思い出してみてください。彼は男性でありながらも、女性性の要素もしっかり感じられる人なのではないでしょうか。彼女は女性でありながらも、男性性の要素もしっかり感じられる人なのではないでしょうか。そして一面的な個人ではなく、その場その場において必要な人間性を発揮できている人ではないでしょうか。恐らくそこに至るまで、相応の自我との闘いを経験されているでしょう。だからこそ魅力的で、多くの人を惹きつけてやまないのです。

 
私たちは、もはや「私は男である」「私は女です」という時代を終えているかもしれません。脳科学や心理学、物理学の解明が進み、さらに「心」が明確になってきています。男女が平等に扱われ女性が社会進出していくこの時代、いつまでも二項対立的な考えに固執していると自らが成長を拒んでいることになり、社会と個人との間に生じる不具合や、自分自身の意識と無意識の間で生じる葛藤に苛まれる人生になってしまうかもしれません。私たちひとりひとりは、女性性だけ、男性性だけ、では未熟なままで、両性具有である自分を認識したときから発展し始めるのです。

 

 

 

 
ー参考文献ー
内なる異性/エンマ・ユング
人間と象徴/C・G・ユング
元型論/C・G・ユング
見えざる異性/ジョン・A・サンフォード
昔話の深層~ユング心理学とグリム童話/河合隼雄
ギリシャ神話入門/長尾剛
ユングの世界/E・A・ベンネット

 

 

 

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