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Yamasaki Rinko

ひとりごと。人は二度死ぬ。

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8年前、父が亡くなりました。
病気が見つかったときには余命1ヶ月と宣告され、それがそのまま現実になりました。

 
在職中だったため葬儀には大勢の方に参列して頂き、私はその後父が30年お世話になった会社へ挨拶に行きました。
父は晩年になってから、社内の若い人達と写真を撮ったり、グループでスキーツアーに出かけたり、バレンタインデーには沢山チョコをもらってきたりと、私には理解できない変なところがありました。
いったい会社で何をしているんだろう…?と。
私が会社を訪問すると、次から次へといろんな人が挨拶に来て父の話をしてくれました。
どうやら父の仕事部屋は、若い新入社員やパートで働く女性たちの“駆け込み寺”だったらしい。
仕事以外に音楽や社交ダンス、ウクレレや登山など晩年は多趣味で、その関係の方々もいろいろ話を聞かせてくださいました。

 

私はパパっ子で、夜中まで二人で語り合うこともあったのに、父は自分の話はほとんどしてなかったんだなぁーと。
一人娘で一緒に住んでいたにも関わらず、私は父のことを何も知らなかったんだなぁーと。

 

人が死ぬということは、今までいた人が急にいなくなってしまうことを意味し、その空虚感が怖くて私は人の死を受け止められない看護師でした。
でも違いました。
亡くなった後に、人間関係という多くの宝ものを父から受け取ったから。
生きている間は、よくわからなかった父の人生。
本当にその人のことがわかるのは、亡くなった後なんですね。

 

あれから8年。
ある施設の総会に初めて出席しました。
父が数年間ボランティアに通っていた施設です。
8年前、父が亡くなったことを知って驚いて電話をくださった女性に会うことになりました。
父と知り合った頃は支援員だったけど、施設長、所長、そして常務理事になり施設をいくつも増やして大活躍されていました。
「あの頃プライベートのことも含めて、お父様がいろいろ相談にのってくださったおかげで、今の私があるんです。」
と言ってくださって、8年経って私はまた父の新たな一面を知ることになりました。
「パパは、この人の中でも私の中でもまだ生きてるんだなぁー」と。

 

 

 

 
コミュニケーションスクールの主宰・宇野ひろみ
「人は二度死ぬ」と言ってました。
一度目は肉体が滅びたとき。
二度目は、その人を知る人が誰もいなくなったとき。

 

生きているときは、最も身近にいる人でも、その人が語らないことは知りようがない。
会えなくなったとき、周囲が語る数々の言葉によって、初めてその人の存在が明らかになるのかもしれません。
そして姿がなくなっても心の中に生き続け、目の前に居るときより記憶の中の方がずっと鮮明になっていくのかもしれません。

 

人は誰かとの関係性においてのみ、その存在が成立します。
誰かとの関係性を自らつくっていかない限り、いつまでも“自分”は行方不明。
誰かのために自分自身を使わなければ、すぐに二度目の死が来てしまうかもしれません。
 
さて、これから何をしましょうか。。^^

 

 

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