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Neoナースコミュニケーションスクール

私、このまま死ぬの?

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末期癌の女性のところに週3回訪問しています。

彼女は目を閉じたままで、毎回私に尋ねるのです。

「私、このまま死ぬの?」と。

私はどう答えていいのかわからず、毎回おろおろしてしまう。

 

 

 

彼女は自分の体がもう末期であることは知ってる。

だけど「そうですよ」とは絶対に言えない。

仕方なく「そんなことないよ。また元気になれるよ」と答える。

そして、まず顔をきれいに拭き、乾燥した皮膚に保湿クリームを塗って、マッサージをする。

また元気に歩くときのために、関節が硬くならないよう一方的に身体を動かしていく。

彼女は目を閉じたまま、私に体を預けてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はずっと「人の死」を避けて看護師をしてきました。

若い頃に経験した数々の「死」が私を迷わせたから。

「人は何のために死ぬんだろう」

「人は何のために、こんなに一生懸命生きるんだろう」

「人は何のために生まれてくるんだろう」

その答えが見つからなくて、看護師として避けられない「死」を、あえて避けながら職場を選んできました。

 

 

 

そしてコミュニケーションを学んで3年。

コミュニケーションのプロ、生き方のプロ、人間のプロを目指して、「人」というものを探求し続けてきました。

 

 

 

 

 

 

彼女の横に座って身体をさすりながら、「生と死の意味」を探す私。

私たちが見ているものはありのままではない。

脳に入った情報は数えきれないほど変換され、自分自身の価値観が加わり、原形をとどめないものに変化している。

脳には未来や過去など時間の概念はない。

ただ頭の中で集めた情報を過去・現実・未来と捉えてる。

ということは、私たちは常に想像の世界で生きているということ。

つまりーそれが「苦」であり、すべては「空」である。

 

 

 

 

 

だけど今の彼女にとって、そんなことはきっとどうだっていい。

彼女が望んでいるのは科学じゃない。言葉でもない。神様でもない。

もしかしたら彼女は「自分の最期の在り方」を、自分自身に問うているのかもしれない。

 

 

 

そして最近、彼女はその質問をしなくなった。

意識がもうろうとしている時間が多くなった。

私はホッとする反対側で、心が引き締まる。

「私の関わりが、この人の最期の在り方に影響する…」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高齢者の集合住宅での居宅訪問なので、あまり重症者はいないはずでした。

30~40人のお年寄りの方々に日々関わっていく仕事です。

運動をしたり散歩に出かけたり、お話したり。

けれど実際には身元引受人もいない方が多く、「延命治療はしたくない」「ここで死にたい」という方がほとんどなのです。

 

 

 

 

 

 

看護師としてできることは数々あります。

だけど、そうではなくて。

看護を超えた「人と人との関わり」。

この方々の最期を看取るのは、たぶん私。

彼女の最期も。

そしてこれから先、彼女に必要とされるのは「非言語コミュニケーション」。

それもコミュニケーションスクールや、コーチングの中で学んできました。

 

 
もし世の中に、自分ひとりしかいなかったら「私」は成立しません。

「自分とは違う誰か」がいるから、同じではない「私」が成立します。

「椅子」は、ただそこにあるだけでは「鉄とプラスチック」でしかありません。

そこに誰かが座って初めて「椅子」として成立します。

子供がそこに食べ物を置けば、それは「テーブル」として成立します。

つまり、何かとの関わりによって「私」が成立し、

私の関わりによって「相手」が成立します。

 
それは「私の関わりが、彼女の最期の在り方に影響する」ということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私自身が戸惑っていてはいけない。

私の状態が、彼女に伝わってしまう。

コミュニケーションで重要なのは、言葉ではない非言語の部分です。

コーチングでも、コーチの状態がクライアントさんに伝わります。

人には想念という目に見えない力があります。

私自身が整えば、きっと彼女も整うはず。

今、そんな気がしています。

 

 

 

 

コミュニケーションの世界が深くて面白くて、私は看護の世界から離れつつありました。

だけど久しぶりに向き合う機会を得て、コミュニケーションがいかに看護に役立っているか、を痛感しました。

おそらくこの看護がまた、コミュニケーションに役立つのだと思います。

「必要なことが、必要なタイミングで来る」まさにそう。

コミュニケーションを深めた今だから、この機会が来たのだと思います。

 

 
もしかしたら、亡くなった後に本当の世界が始まるのかもしれない。

真は誰にもわからない。

なら、その始まりかもしれない時をちゃんと迎えられるように整えてあげたい。

避けることなく、その瞬間に立ち会えることに感謝できる私でいたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メルマガ~ひとひらの凛~より

 

「出来事を見る目」

 

「過去は存在しない」

 

「世の中はすべて想像でできている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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