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対人コミュニケーションを身につけたいと思ったときに読むやつ。第3章。

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コミュニケーション能力は多段階で、ありとあらゆる情報処理を瞬時に行なっています。
基本的なプロセスは
①止まる
自分の感情を止めるー時間が止まったかのように
②観る
自分あるいはその場を客観するー第3者であるかのように
③選ぶ
先の効果性を見通した選択をする
この精度を上げるのは螺旋階段状。
あらゆる情報処理の能力を上げていく必要があります。

第1章「止まる」はこちら
第2章「観る」はこちら
次のステップ③「選ぶ」に進みます。

 

第1章でもお伝えしたように、私たちが前提として知っておくことは「人間はネガティブな生き物である」ということ。
私たちは生まれた瞬間から「生きる」ことを使命としています。
大人になると「命を継続すること」を使命として感じ、食欲・排泄欲・性欲などの欲求を持っています。
またその上位に、安心・安定・所属・承認・愛などがあり、人として生きていくために欲求を満たすことを本能的に求めています。

 

満たされているとき、私たちはとくに気がつきません。
満たされていないときに気がつき、生命継続の危険を察知します。
そして満たすための方法を探し動き始めます。
つまり常に「負のフィードバック」をキャッチするシステムを持っているんですね。
よって嬉しい・楽しい・満たされていた記憶より、忘れてしまいたい過去や思い出したくない体験・不安・悲しみ・苦しみ・憤り・恐怖などの感情の方がより鮮明に思い出されます。
対人コミュニケーションにおいて、このことが大きく関わっています。

 

 

 

 
「見る」と「観る」の違いは何でしょうか。
「見る」はただそこにあるものを確かめる、捉えるという意味。
「観る」は観賞するという意味。
客観的・客観視のように、第3者の視点で眺めるという意味合いです。
ステップ②「観る」では、客観の視点に変えて自分の感情や解釈を挟まず、自分、相手、自分と相手との関係性、多人数のときは場全体を観ます。
その上で「先の効果性を見通した選択」を行ないます。

 

「先の効果性を見通した選択」とは何でしょうか。
人の行動には必ず意図があります。何の意図もなく人は行動を起こしません。
職場で何気なく挨拶を交わすのも、心地よく働きたいという意図があります。
目の前にいる人と何気なく話すのも、この場を快適に過ごしたいという意図があるから会話をするんですね。
恋人・家族・仕事関係の人と対人コミュニケーションをするときも、必ず意図があります。
それは自分の意見に同意してもらいたいとか、自分の希望を聞き入れて欲しいという意図があるかもしれません。
ただ一緒に心地よく過ごしたいのかもしれません。
人の行動には必ず何か「オーダー」があります。

 

 

 

 
「先の効果性を見通した選択」というのは、自分の意図を満たすためにAという選択をすることが効果的なのか、Bという選択をすることが効果的なのか、あるいは新たにCという選択肢を増やして選択することが効果的なのか「選ぶ」ということ。
例えば今週末、彼と遊園地に一緒に行きたいという「オーダー」があり、彼から「行こう」という返事をもらうことを意図にコミュニケーションを始めるとします。
ところが彼は「疲れてるから今週末は一人で過ごしたい」と言いました。
客観すると自分の声は大きく相手の顔をじっと見ていますが、彼の声は小さく目は伏目がちです。どうも波長が合っていないようです。

 

この場合、意図を満たすために、
1.「行きたい」という意見を押し通すことが効果的か
2.今は返事をもらうより彼の気持ちを尊重してあげて、また後日話をした方が効果的か
3.あるいは「じゃあ静かな美術館にしようか」など別の提案をした方が効果的か
という選択を行ないます。
他に、残念そうに黙り込むことが効果的か、午前中はゆっくりして午後から出かける案を提示するか、元気になるために無理やり連れて行くことが効果的かなど…。
意図を満たすために「先の効果性を見通して」選択をします。

 

つまりコミュニケーションには必ず何か意図があり、そこへ辿り着くために最も効果の高い方法を選択していくということ。
今意見を戦わせて勝ち負けを決めてしまうより、先延ばしにした方がいいことは多々あります。
自分のマインドにいた場合、私たちは上手くいっていないことをキャッチする性質を持っているため、過去の上手くいかなかった経験が反映されてしまいます。
「滅多にお願いしないのに」「いつも反対される」「私なんて必要じゃないんだわ」など感情的になることが予測されます。
感情的になっている状態では本来の意図をも見失い、現状にとらわれて関係性が悪化してしまいますね。
経験ありませんか?
よって対人コミュニケーションをスムーズにするために①「止まる」②「観る」③「選ぶ」というプロセスが必要です。

 

難しいように感じるかもしれませんが、もし仮にこのスキルを獲得し自分のオーダーがあらゆるところで通った場合、どのような人生になるでしょうか。
仕事先では次々契約がとれる、注文が増える、成績が上がる、収入が増える、
家庭では夫や子供が言うことをきいてくれる、欲しいものを買ってもらえる、
ちょっとそこのジュース取って、というのもオーダーです。
人間関係や仕事の成果、家族との関係性などあらゆることが思い通りになり、人生が変わりますね。
そんなこと不可能だろう…と思うかもしれませんが、洗練された客観のポジションを獲得すれば不可能なことではありません。
それが「卓越したポジション」です。

 

 

 

 
「先の効果性を見通した選択」をするために、もう一段階発展する必要があります。
私たち日本人はとくに、~でなければならない、~であるべきだ、という考え方を持っています。
それは世間一般に対し柔軟で角が立たない調和的な考え方ですが、その判断に囚われていると「先の効果性を見通した選択」が難しくなります。
その基準はおよそ“世間の常識・非常識”や“社会通念上の善悪の価値”で構成されています。
世間一般が常識・善とする意図と、自分が持っている意図とが、必ずしも一致するわけではありません。
常識・非常識や善悪という判断は、前後の文脈によって変わります。

 

例えば、嘘をつくことは悪ですか?
世間一般では「悪」でしょう。私たちは子供の頃から親にも先生にも「嘘をつくのは悪いこと」「嘘をつくべきではない」と教えられてきました。
けれども、どうしても一人で行きたいところがあります。
相手を安心させるためにコミュニケーションを始めた場合、正直に言うと相手が過剰に心配することが予想され、嘘を言った方が安心させてあげられる場合があります。
どうしますか?
時と場合によりますよね。
そう。嘘をつくというのは、前後の文脈で善にも悪にもなり得るのです。

 

このように世間一般の常識・非常識や善悪の価値基準で選択をしてしまうと、自分の意図を満たすための「先の効果性を見通した選択」ができなくなってきます。
すべての常識・非常識や善悪を無視することはできませんが、できる限り自分自身の価値基準を持って選択していく必要があります。

 

 

 

 
私たちは日常の中で与えられるさまざまな情報によってコントロールされています。
法律は私たちの安全を保証してくれるものですが、行動を抑制するものでもあります。
日本の道徳やしつけは社会の規律を守るものですが、中国の儒教の教えが含まれており個人の心を抑制するものでもあります。
そのことに気がつき、自分なりの情報を得て自分なりの価値観を持つ必要があります。
あるときは世間一般の価値基準で、あるときは善悪を超えた効果性で、物事を判断できる人がコミュニケーションで人生を変えていきます。

 

自分らしい生き方をしたいと望みながら、できていない人が多くいます。
コミュニケーションスクールでは心の中で葛藤する2つの意思を超えるトレーニング方法や、新たな自分をつくる方法もお伝えしています。
つまりコミュニケーションは「自分らしく生きるための具体的手順」なのです。

 

 

 
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